1733年(享保18年)、大坂(現 大阪)・堺の打刃物屋として、わたしたちは産声をあげました。屋号は「大坂屋佐右衛門」であったと伝えられおり、わたしたちの現在の社名「大佐」は、この「大坂屋佐右衛門」からとられています。
時は、徳川第8代将軍吉宗の世です。
徳川吉宗といえば、「暴れん坊将軍」ですっかり有名ですね。吉宗の治世中には、後に「享保の改革」と呼ばれるようになった一連の改革が推し進められていました。どんな時代だったのか、前後の主なトピックを拾ってみると…
赤穂浪士の討ち入りが1702年、その翌年には近松門左衛門が「曽根崎心中」を発表、1716年に吉宗が将軍となり、大岡越前のモデルとなった大岡忠相が江戸町奉行に就任したのは1717年、庶民の声を吸い上げるための「目安箱」が設置されたのは1721年、公事方御定書が1742年に発令され、杉田玄白らが「解体新書」を世に出したのは1774年、そして1787年には松平定信が筆頭老中になり…なんだか、絵に描いたような江戸時代ですね。
徳川吉宗公
そんな時代に、わたしたちの先祖は斬新でスマートなデザインの換気口やポストを作って…いたはずもなく、 どうやら打刃物屋として刀の鍔(つば)などを扱っていたようです。安政年間に大坂・堺から江戸・京橋に移り、そこでも引き続き金物を扱う店を営んでいました。
やがて、260余年続いた江戸時代も終わりを告げ、明治維新から大正、さらに昭和へと時は流れ…、ここに昭和10年発行の「大佐商店」のカタログがあります。(あれ!?いつの間にか屋号が変わってる!)
※実際に使われていたカタログのため、あちこちに落書きがしてありますね。「これはこれで味がある」ということで、ご了承ください。
1920年頃の日本の風景
どんなものを売っていたのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。
鑿(のみ)や鋸(のこぎり)、鉋(かんな)などの大工道具や…
各種の包丁類…
なんと、海軍ナイフ!
=質品るな寬確=のバリカンって…
さらには農業用の鍬や鋤、氷屋さんの氷挽鋸、氷鉋、氷鋏に至るまで…
実にいろんなものを売っていたんですね!
さらに時は流れ…、江戸時代が終わってちょうど100年後の1967年には住宅用のポストを販売しました。
たとえばこんな…
レトロですねぇ…、いかにも「昭和のポスト」という感じですが、…つい最近まで売っていました。
「牛乳受」なんてのもありました。牛のイラストが微笑ましいですね。
それから約10年後の1976年には換気部材を手掛けるようになり、最初の頃はこのようなモノを作っていました。
そして最近では…
江戸時代から、明治、大正、昭和を経て、平成へ…。
刀の鍔や農工具から、海軍ナイフを経て、ポストや換気口へ…。
おかげさまで大佐はこれまで約290年もの長きにわたって、商売を続けてくることができました。
泣いたり笑ったりしながら金属と格闘(?)し、モノづくりの喜びと厳しさをかみしめてきました。でもそんな中で、その時代時代の皆様のお役に少しでも立てていたのなら、これに勝る喜びはありません。
こんな大佐ヒストリー、いかがでしたか?
皆様へお願い
どこかに、昔の大佐の資料(カタログ、写真、社名入り製品、その他なんでも)をお持ちの方は、どうかご連絡ください。
さきほどの昭和10年のカタログも、ご親切な方からのご連絡のおかげで入手できました。感謝しています。